石田三成の性格は?名言にはどんなものがある?
石田三成、と聞いてどのような武将だったイメージが湧きますか?
私は、関ケ原の戦いで家康に反旗を翻した西軍の武将、という印象です。
西軍からは寝返りが起きているので、あまり人望もないまでがセットです。(^-^;
確かに、家康と比べると人望はなかったと言えるかもしれませんが、
深く狭い範囲でなら強いきずなを結んでいた人間だったともいます。
石田三成の性格と、彼が発した名言について簡単にご紹介させていただきます。
石田三成の性格は?
光成は、一言でまとめると
「自分の正しいと思ったことを臆せず主張できる男」
といったところでしょう。
光成に関しては家康と対立した加減もあって、偏った記述も多いようです。
また、戦国時代の話なので出典が不明であったり二次史料であったりと正確性に欠けることも踏まえておいた方がいいです。
簡単に性格を表すエピソードを箇条書きにすると、
- 寺小姓をやっていたとき、秀吉に三杯の茶を出して細やかな心遣いを見せる
- 秀吉の茶会で、らい病を患っていた大谷吉継の膿が入ってしまったお茶を飲み干す(他の人は嫌がっていた)
- 秀吉を気遣い、季節外れの桃を送った毛利輝元に桃を突き返す(横柄と言われてしまう)
- 関ケ原で敗走後、落ち延びた寺院で「家康の首が欲しい」という
- 腹心の島左近には優柔不断だから好機を逃した、と愚痴られる
- 自分を匿った農民が無事なようにと、説得して密告させる(村は無事だった)
と、いずれも光成のなかでは有名なエピソードです。
総合した印象が、光成と気が合えば一生涯の友情になりそう……、でした。
逆に敵として認識されたら地の果てまで追ってきそう、そして気難しそうな感じが怖い。笑
光成は自分のなかの譲れない線を絶対に曲げない男なのでしょう。
外部からの影響で変化することはないのです。
自分が恩を感じる秀吉に対しての忠義であったり、無欲な人間でした。
光成の佐和山城には金銀などの財産は何もなかったそうです。
これは賞与を辞退したり、家臣にあげたりしていたせいでしょう。
光成が嫌われていた理由
光成は人望がなかった、と言われるようにけっこうな武将から嫌われていました。
嫌われる理由としては、
- イエスノーがはっきりしていた
- 典型的な官僚タイプだったから
- 秀吉の権力の威を借りているように見えるから
どれも一定層に嫌われてもおかしくない項目ですね。
島国では、イエスノーがはっきりしていると角が立ちやすいです。
体感的に疎まれることはわかるのではないでしょうか。
立場をしっかりと表明するということはその反対側の人間には嫌われるのは至極当然のことです。
また、典型的な官僚タイプというのは軍人には嫌われます。
そもそもあまり官僚を好きな人自体あまり聞きません。(;’∀’)
かくいう私もあまり好きではないです、ごめんね光成!
秀吉に可愛がられてることを利用して横柄な態度をとっている!とも思われていました。
個人的にはこれに加えて光成があまり戦上手と思われていなかったせいもあるんじゃないかな、と考えています。
内政といったわかりやすく成果が出ないものよりも実際の戦で手柄をあげている方が見栄えはいいです。
他の武将からすれば体を大して張ってもいないくせに威張るなよ、といったところではないでしょうか。
私もちょっとそう思っていました。汗
それでも秀吉に可愛がられている光成への嫉妬も混じっているのかな、と予想してみたり……。
名言にはこんなものがある!
気難しいけれども義理堅い光成の名言にはどんなものがあるでしょうか。
ひとつひとつ、見ていきますね!
名言①
汝に二心あるを知らざりしは愚かなり。されど、義を捨て人を欺きて、裏切したるは、武将の恥辱、末の世までも語り伝へて笑うべし
これを言われたのは小早川秀秋!
関ケ原の戦い後に東軍に捕まった光成を見物しにきていたようです。
小早川も裏切った後にわざわざ見に来るのはなかなかの神経かもしくはよっぽど光成が嫌いだったのでしょうか。
光成「あなたが徳川についていたのを気づかなかった私は愚かだ。しかし、義を捨てて人を欺くのは武将の恥だ。末代まで語られて笑われてしまうだろうな」
なんとも皮肉をこめた仕返しですね。
光成の山のように高いプライドが見えるようです。
体は家康に囚われようとも、気高さを失うことはなかった光成でした。
名言②
命を惜しむは、ひとえに我が志を達せんと思うがゆえなり
光成が死の直前に話したとされる言葉です。
死そのものを恐れているのではなく、死によって志が成就できないことを恐れているのです。
わが身可愛さで命を惜しんでいるわけではないよ、ということですね。
苦境に陥っても家康打倒を口にしていた光成のことを考えれば不思議ではないと思います。
性格のせいか、なんだかちょっとくらい負け惜しみが入っている気はしなくもないですが。笑
名言③
常に奉公人は、主君より取物を遣ひ合せて、残すべからず。残すは盗なり。つかひ過ごして借銭するは愚人なり
この言葉は、財産や資産の使い道について述べたものです。
公に使うと言われて渡されたものを残すな、ということですね。
みんなのために使うとされた資産を余らせて自分のものにするなら、それは盗んでいることと同義だといっています。
光成は言葉通り貯蓄をほとんど残していませんでした。
名言④
われ、大軍を率い、天下わけ目の軍しけることは、天地やぶれざる間は、かくれあらじ、ちつとも心にはづる事はし
関ケ原の戦いで敗けた後、京都で引き出されていたときにいった言葉です。
光成「私が大軍を率いて天下分け目の戦をしたことは、天地がやぶれない間は紛れもない事実! でも別に恥に思うことはない」
戦をしている以上、敗けることは誰にでもあるもの。
おそらく、最後に勝てばいいという考えだったのでしょう。
名言⑤
成るべく、季節のものをば進上ありたし
これは、前述していた毛利輝元が送った桃を突き返すときに言った言葉の一部です。
季節から外れた桃を秀吉が食べて万が一にでもあたったらどうする??
旬のものを持ってこい、といった調子で返してしまいました。
輝元からすれば珍しいからよこしたのに、という気持ちでしょうね。笑
しかし、光成にとっては主君の健康の方が大事なのです。
万が一を考えて、というあたり堅実な思考の持ち主ですね。
まとめ
以上、簡単に石田三成の性格と名言をご紹介させていただきました。
もう一度まとめておくと、
- 負けず嫌いな皮肉屋
- 義理堅い人間
- 志を達成するまで進もうという気概がある
- 人望はないが、慕われる人には慕われる
- 資産は全て使い切り、自分のための蓄えはしない
こうやってみると、マイナスイメージがもったいないように思います。
ものすごく純粋な人間だったんだな、と。
処世術はとても低かったのでしょうけど、吉継を慮ってお茶を飲み干す光成は人情に篤かったのですね。
“石田三成の性格は?名言にはどんなものがある?” に対して1件のコメントがあります。